アキョウの歴史

紀元前500年から現代まで 食用の歴史は2500年以上

歴代の医学書に掲載された名薬アキョウ

古書「神農本草経」と「本草綱目」アキョウの歴史は長く、現在わかっている範囲でも、食用・薬用の歴史は2500年以上におよびます。もっとも古いもので、紀元前500年の書物『五十二病方』に漢方としての製造方法が記されており、それ以降も漢方のバイブルといわれる『神農本草経』や『本草綱目』、現代の『中華人民共和国薬典』に至るまで、数々の著書に記載されています。

このように、アキョウはじつに2500年もの間、語り継がれ、食され、安全性が広く証明されている漢方なのです。

文献年表
阿膠の古書における記載 西暦 時 代
中国 日本
『五十二病方』:「膠を煮る時は清水で煮,その量が一挺半(当時の単位)になるまで煮る。膠は溶かせば澄んでくるのである」 紀元前500年
(約2500年前)
先秦 縄文時代
『准南子』准南王・劉安:「阿膠一寸では黄河の濁りは止められない」 紀元前121年 西漢(前漢) 弥生時代
『神農本草経』:「阿膠は東平郡に生まれ,東阿で生産される」、「阿膠の味は甘で,気は平である.中国山東省の東阿に産する」、「胸や腹の部位の病や内臓の出血、過労、腰や腹の痛み、特に女子の病では、陰部から血が下るのをなおすことができる。また,みごもった胎児の発育を安らかにする作用もある」 西暦25~220年 東漢(後漢) 弥生時代
『本草経集注・名医別録』陶弘景:「阿膠は東阿で生まれたため阿膠という」 西暦502年 南梁(南北朝・梁) 飛鳥時代
『水経注』リ道元:「東阿には(馬車の)車輪のように大きな井戸があり,深さは七丈もある。一年中阿膠を煮ており,朝廷に年貢として収めている」 西暦533年 北魏 飛鳥時代
『千金翼方』孫思バク:「阿膠は,味は甘・やや温性であり無毒である。主に心腹内崩や極度の過労を治療する」 約西暦650年 飛鳥時代
『夢渓筆談』沈括:「阿井水は下に向かう性質があり清く重い」「この井戸の水を取り煮たものがいわゆる阿膠である」 西暦1093年 宋(北宋) 平安時代
『本草綱目』李時珍:「阿膠は本経の上品であり弘景は「東阿で生まれたため阿膠という」と言っている」 西暦1578年 室町時代
清国公使とし赴任した大鳥圭介がアキョウの製造方法について記した『阿膠編』を執筆。 西暦1880年 清代末 明治時代
『増訂偽薬条弁』曹炳章:「阿膠は山東東阿県で産出され,純粋なロバの皮を阿井の水で煮て作るために阿膠と呼ぶ」「その色に艶があり,味が甘咸で清香があるものが,本物の阿膠である」 西暦1901年 清代末 明治・大正
東阿阿膠がパナマ博覧会にて金賞を受賞 西暦1915年 中華民国 明治・大正
中国薬典に収録 西暦1963年 中華人民共和国 昭和